新興宗教 この経験を経て 青年時代③

高校生ともなると、その宗教団体にとって実益のある存在として扱われます。若くて健康な身体と純粋で真っさらな心や脳は、さぞかし使い勝手がよかっただろうと思います。

私は、青年部の活動には最小限しか参加しませんでした。本当は全くやりたくはありませんでした。しかし、教義に背くと不幸が起こるという思いに支配させられていたため、多少の活動はしました。しかし、私が実際に誰かを勧誘したことは一度もありませんでした。他の信者からすると私は不良信者だったでしょう。

その宗教の教えや行いは、私の琴線に触れることはありませんでした。しかしそれでも、年に数回、謀県にある本部に行かなければなりませんでした。全国各地の青年部員が本部に集まってくるのです。私の支部の青年部員達も早朝に出発し、隣県にある本部に向かいます。そこには、美しく巨大な神殿があります。その宗教には、「最高の神様には最高のものを」という考えがあるため、神殿は本当にきれいでした。本部は山中にあり、広大な敷地の中には、芸術的な建造物が数多くありました。そこで祈りを捧げたり、新規勧誘の結果を報告したりするのです。

しかし、高校生である私は、「それらの建造物は、多くの信者の献金で建てられているということ」や「この宗教の教祖が最高位の神であるといい、その他の宗教の神よりも上、同じ教祖を崇めているにも関わらず他の宗派は自分たちよりも下であるというその宗教の考え方」に疑問を持つようになりました。私は、その宗教に共感することが全くできませんでした。そして、大学に進学するために実家を出る時に、私はその宗教を脱退しました。

脱退に至るまでに様々なことを経験しました。両親がまあまあな額の献金をしていたことを知ったり、会主と呼ばれる人から全国の青年部員に対して、新規勧誘のノルマ(1万人)を達成できなかったことで厳しい叱りを受けたりもしました。首にかけている「お光」も、汚れてくると外布を交換するのですが、交換時にその中に体毛が入っていたりすると、「お詫び」として数万円払わなければなりませんでした。また、「お光」を他人に触れられたり床に落としたりすると、「お詫び」として数万円払います。別に粗末にしているわけでもなく、「普通に生活していれば仕方のない」ことに対しても厳しいペナルティがありました。しかし、大体のことは、お金で解決しましたが・・・。

正直言って、そこに美しさは全く感じられませんでした。黒く重たいものしか感じられず、この信仰に触れる度に気分が悪くなっていきました。

この信仰への不満や不信感を両親に話したことで、ひどい言い合いになったこともありました。しかし、私は、「高額な献金(100万円献金や1000万献金もありました。)を要求してきたり」、「ノルマ達成に向けて勧誘をせかしてきたり」、「自分たちの宗教だけがピラミッドの頂点だ」と言わんばかりの考え方には、どうしても共感することができませんでした。両親の意志で入信させられはしましたが、18歳の自分が自分の意志で脱退できたことは本当によかったと思っています。自分軸を持つことの大切さを身をもって知りました。

それから数十年後、インターネットが普及し、私はその宗教について調べたことがあります。たくさんの「訴訟」が起きていたり、「被害者の会」があったり、奇跡のダイヤモンドを鑑定したところ「プラスチック製の装飾品」だったということが分かったり、黄金の七福神も「おみくじに入っているおまけ」と同じ製品だということを調べ上げたりした人もいました。お守りの中に入っている「光」の文字も教祖の直筆だということでしたが、実際には「印刷物」だったという信じられない話もサイトに上がっていました。

簡単に言うと、話を盛ったり、だましたりしていたのです。

手をかざして人の病を癒やしたり、金粉が降ってきたり、本当に奇跡的なことが起こったことも実際にはあったのだろうと思います。また、教祖ご本人の霊体験や人を癒す力は本物だったと思います。私は、脱退した後も、天から授かったエネルギーで人を癒したいという気持ちが、ずっと心の中にありました。だからこそ、スピリチュアルについて学んだり、レイキを身につけたりしてきました。それは、「この宗教の持つ美しさ」をどこかが感知していたからだと思います。

しかし、信者を妄信させたり勧誘を促進するために、デフォルメしたり嘘をついたりしたことで、「教祖が伝えようとしたこと」や「やろうとしたこと」、「本来持っている本当の力」を、台無しにしてしまったのだと思います。

金と嘘にまみれたこの宗教の中にも、きっと何かしらキラリと光る真実があったのだと思います。しかしながら、その真実を覆い隠してしまうほど、運営する側の人の業は、深かったのでしょう。

私は、この宗教に対して、このような見解をもち、自分なりに距離を保ちました。しかし、この宗教のすばらしさが見える方々が信仰するのは、もちろんいいと思います。否定している訳では全くありません。私には見えない何か大切なものが見えているのでしょう。

 

私の宗教観は、いわゆる一神教とは違います。具体的な崇拝物や崇める人物はいません。

宇宙に存在する万物が、愛であり光であり神であるという解釈です。

人の心を動かすものは、自他に対する思いやり、優しさ、温もり、許し、敬愛、感謝、和の心だということを実感しながら、私は、今、幸せに生きています。

献金、戒律、階層、脅し、恐怖信仰は、人の心を動かしも癒しもしません。

この宗教での経験を通して、「真心しか伝わらない。」「真実しか力をなさない。」「本物しか響かない。」ということを学ぶ機会をいただきました。

今は、ただ感謝しています。

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