海の幸、山の幸は誰のもの? 少年時代⑫

ガラスのような繊細な心をもっていた少年時代。

私は、周りとは少しだけ感覚が違っている不思議な子どもでした。

 

私は子ども頃、よく海に潜って貝とりをしました。

「しったか」や「トコブシ」、小さいながらも「サザエ」もとれました。そして、収穫した貝をその場で茹でて食べたり、家に持ち帰って家族みんなで調理したりしました。買ってきた食材とは違うおいしさを感じたものです。海に潜るだけで、これだけの食材に出会えるなんて、本当に地球は恵まれていますね。

その他にも、潮干狩りに行ったり、山菜を採りに行ったりもしました。

海の幸は、貝やわかめ、カニや魚たち...

山の幸は、つくしにワラビ、ふきのとうにヨモギ、野いちごに桑の実...

自然はなんて素晴らしいのでしょう。お金を払わなくても、何も手をかけなくても、私たちに恵みを与えてくれます。これらは全て、地球からの贈り物なのです。

現在は、貝とりをするにも、昔に比べると規制が厳しくなりました。海に潜って貝類を捕ると、海上保安庁に注意をされたり、場合によっては捕まったりしてしまいます。

ちょっと残念な気もしますが、環境の変化に伴い海産物が激減していること、漁業で生計を立てている人がいることも分かっています。ルールを守るのは当たり前のことです。

そして、大規模な環境破壊により、多くの動植物たちが絶滅の危機に瀕しているのも悲しい現実です。

しかし、もう一度、あの美しい海に潜りたいという夢は、簡単には捨てられません。なぜなら、そこが本来人間がいるべき場所だからです。

もしも願いが叶うのならば、海や川や山が汚染されていない時代にタイムスリップして、その頃の自然を楽しんでみたいです。産業が始まる前、できれば文明が始まる前の時代へ。

きっと、その時代は、現代と違って生きていくだけでも困難で、いつ命を失ってもおかしくないという危機感をもっていたと思います。

しかし、自然は、ものすごく豊かだったでしょう。

 

魚たちや珊瑚が彩る海

青く清らかな川

野ウサギが駆けまわる山

おいしく澄んだ空気

 

自然は、宝箱。煌めく美しさを私たちに見せてくれます。

自然は、友達。心を許せば、私たちと遊んでくれます。

自然は、レストラン。新鮮で栄養豊富な料理を私たちに食べさせてくれます。

自然は、家族。安心感やぬくもりを私たちに与えてくれます。

かつての私たちは、自然の恵みに感謝して、それらをみんなで分かち合って生きていました。今の私たちは、自然への敬意や感謝も忘れ、奪い合い、宝物を毒に変えてしまっています。

添加物だらけの食品

不自然に育てられた家畜

農薬や化学肥料まみれの野菜

私たちは、文明と引き換えに大切なものを失ってしまったのかもしれません。もう、人類は引き返すことができないところまで来ているのかもしれません。

 

それでは、どうすればいいのでしょうか?

 

答えは簡単です。

自分たちが捲いた種を地道に刈り取るしかないのです。

 

もし、私たち人間が、地球由来の生物であるのならば、私たちが生み出した有害なものを、私たち自身が浄化していくだけの能力は備わっているはずです。文明を発展させたことによる弊害を、きちんと解決していくだけの意識や智恵、技術を持っているはずなのです。

地球は、自分自身を破滅させるような存在を、地球上に生み出したりはしません。私たちは、破壊的な行為をする愚かな存在かもしれません。しかし、破滅を回避し、故郷を再び甦らせることができる美しい存在でもあるはずです。

それができないのであれば、この星を荒らしに来たただの地球外生命体でしかありません。

 

さっ、折り返し地点です。

散々汚した部屋をきれいに片付けましょう。私たちの家をきれいにしましょう。

私たちの家はここなのです。帰る家も住む家も、この地球なのですから。

みなさん、掃除の時間が始まりましたよ。

きれいになったら、もう一度、豊かな幸で溢れる海に飛び込み、思いっきり貝とりをしましょう。

少年時代⑬につづく

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